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いまわたしの、ねがいごとがかなうならば・・・
赤い鳥・・・後藤悦治郎・平山泰代(のちに二人は結婚)+山本俊彦・山本潤子(旧姓・新居)・大川茂の5人組。
その後、分裂する形で解散。
⇒ 紙風船=後藤悦治郎と平山泰代のデュオ・・・(代表曲:冬が来る前に)
⇒ ハイ・ファイ・セット=山本俊彦・山本潤子・大川茂の3人組
・・・(代表曲:フィーリング)【出典:Wikipedia】
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カラオケで唄いたい昭和の歌、昭和46年(1971年)の歌
いま、わたしのねがいごとが、かなうならば
つばさがほしい・・・
(サビ)
このおおぞらに、つばさをひろげ、とんでゆきたいよ・・・【出典:翼をください 赤い鳥】
翼をください、赤い鳥
赤い鳥が(方針・方向の違いから) ⇒ ハイ・ファイ・セット(代表曲・フィーリング)と紙ふうせん(代表曲・冬が来る前に)に分裂したのは私たちにとっては良かったのでしょうね。
それぞれビッグヒットを飛ばして活躍したことはほんと素晴らしいことですね。
最初、後藤悦治郎と後藤泰代の二人のデュオからスタート。
その後、山本俊彦と山本潤子(旧姓・新居)、大川茂が合流して5人編成で赤い鳥が結成された。
最終的に(活動後期は)、大村・村上・渡辺が参加。
残念なことに赤い鳥は、昭和49年・1974年に解散。後藤夫妻は、『紙ふうせん』
山本夫妻と大川は、『ハイ・ファイ・セット』
渡辺は、『ハミングバード』を結成することになる。【出典:Wikipedia】
それにしても(個人的な感想ですが)、山本潤子さんの声はいいですね。
こんな唄でした。歌ってみる?
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もし動画が削除されていた時は申し訳ございません。
どうぞご了承ください。
(その時は直接YouTubeで、歌手名か曲名で検索してみてください)
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こっちのバージョンもあります。
⇒ 翼をください
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面白い逸話もありました。
昭和44年(1969年)に、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場した赤い鳥はグランプリを獲得。
その時に参加していたのが・・・オフコースとチューリップ。
財津和夫は、オフコースを聴いて「負けた」と思い、
オフコースの小田和正は、赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったらしいです。【出典:Wikipedia】
この歌を選んだ人は、この歌も好きそうです(独断と偏見で)
私が個人的に好きだから・・・
[blogcard url=”https://www.2020tokio.jp/”]
昭和の一コマ、あなたはどこで何していましたか?
昭和46年(1971年)は・・・
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昭和25-29年 昭和30年 昭和31年 昭和32年 昭和33年 昭和34年 昭和35年 昭和36年 昭和37年 昭和38年 昭和39年 昭和40年 昭和41年 昭和42年 昭和43年 昭和44年 昭和45年 昭和46年 昭和47年 昭和48年 昭和49年 昭和50年 昭和51年 昭和52年 昭和53年 昭和54年 昭和55年 昭和56年 昭和57年 昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 昭和64年・平成元~
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